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8人衆の
ミャンマー
ケナフ紀行
2001 |
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【村の朝】
朝が日の出とともにやって来るということは、多くの日本人にとって忘れかけていることかもしれません。そういう意味ではこの村の朝は早く、一行は山際が明るくなり始めた5時半起床で21日を迎えました。ただ客人のための朝食作りはまだ暗い午前4時から準備されており、そしてその料理の状況たるや驚くべきものでした。ここでは電気はバッテリー頼みなので使用が限られているため、真っ暗な中で作業をするしかないのですが、先ず脇に置いた懐中電灯で手元を数回カチカチと点灯させます。そしてその時の残像をもとに暗闇の中で作業を進めていくのです。そしてしばらくするとまたカチカチと・・という具合で、電池が貴重品のせいもあるでしょうが神業としか言いようのない方法で朝食が作られていきます。
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【ミャンマーのケナフ栽培とその利用】
一行は皆昨日の長距離移動による疲れもとれたようで、朝食後いよいよケナフ栽培のの視察です。しかし、巡りあったのは一面に生い茂るケナフ畑ではなく、畑のそこかしこに点々と生えている高さ1mから2mのケナフでした。例えば長野ではシソの栽培に近いでしょうか。長野の農村にはシソ畑というようなものはなく、シソは畑のあちらこちらに栽培、というより生えるがままにしてあります。意識的に植えたものもあるでしょうが自然に生えてきたものもあります。そして必要なときに必要な分だけ葉を収穫するのです。この村でのケナフはちょうどそんな具合でした。自生とも言えますが半裁倍(という言葉があるかどうかわかりませんが)というイメージです。
ここにある主な品種は日本でも一番見ることのできる青皮3号の原種に近いものだそうです。その他に食用のクラチャップ・ダーンと思われるケナフも散見します。それぞれあくまでも食用として考えられており、繊維として活用されることはここではありません。主に自分たちの食用ですが市場などに束で売られているところを見ると、ある程度の出荷もされているようです。ただし売られているケナフはほとんどが食用ケナフでした。
ケナフは刻んでスープにしたり油で炒めたりと、いろいろな使われ方をしています。食材としてメインになるようなものではありませんが、この地の食生活にはしっかりと根付き、なくてはならないもののようです。ピンク色をしたケナフのお茶も日常的に飲まれています。お茶はケナフだけでなく、いろいろな材料を使ったものが各種ありそれぞれを飲み分けているようでした。青木さんは移動の途中、国道沿いの店でケナフのジャムを発見し買い求めました。柴漬けのような濃いピンク色で甘い香りがします。
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| 村に到着後出された夕食。 |
村の朝。宿泊した部屋より撮影。 |
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| このようなケナフナフが畑のあちこちに。 |
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有賀さんは得意の折り紙で交流。 |
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【子どもたちとの交流】
ここでは学校にも訪問しました。生徒数は小・中・高合わせて約1000人という村唯一の学校です。子どもたちが勉強するうえで最も大事な道具は石版です。石版に一生懸命文字を書いている姿を見るに付け、いかに自分たち日本人がが恵まれた環境で育ってきたかを痛感せざるをえませんでした。世界には湯水のように紙を消費する地域もあれば、子どもたちのノートすらそろえる事の出来ない地域もあるのです。もっともそんな心配は私たち大人の領分であるようで、子どもたち自身は皆とても明るくのびのとしています。今回の視察団のメンバーは一様に、学校で出会った子どもたちの生き生きとした姿がとても強く印象に残ったようです。
この段階で一行はもはやケナフ視察団の使命を超え、使節団ともいえる活躍です。様々な形で子どもたちと、そして村人との交流がなされ双方にとって素晴らしい一日が過ぎていきました。
【そして来年へ】
翌日22日はまたヤンゴンで市場などを徘徊した一行は全員無事日本に向けて飛び立つことが出来ました。欧米などイメージの出来上がっている国々と違い、今回の経験は誰にとってもカルチャーショックの連続でした。日本に向かう飛行機の中でそれぞれどんな場面を夢に見ていたのでしょうか。
対ミャンマー使節団は来年も企画されるはこびとなっています。 |
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| 教室風景。 |
石版を手にお勉強。みんな目が輝いています。 |
ここでは勝井先生も本職にもどりました。 |
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| 学校の教科書です。 |
先生たちと交流。 |
お世話になった村の皆さんと。 |
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【あとがき】
帰国された方から生の言葉で聞いたミャンマーは、それまで編者が抱いていたイメージとは全くちがうものでした。ミャンマーにおいてアウンサン・スー・チーさんをめぐる一連の出来事からもわかるとおり政情が不安定であることは間違いありません。また私たちが言うところのいわゆる“近代化”はまだまだで、発展途上国というくくりに入ることも確かです。しかしながら、帰国した皆さんの話を聞くにつけ、ミャンマーという国の、もっと根っこの所にある豊かさを感じざるを得ませんでした。
豊かさとは何でしょうか。一行が帰国して間もなくの8月1日、日本の新聞各紙は日本・韓国・米国・フランスを対象とした青少年の意識調査結果を掲載しました。それによると「21世紀は人類にとって希望に満ちた社会になるか」という問いに対し日本の青少年は62%が「そう思わない」と答え、他国と全く正反対の結果が出ています。他の設問の結果を読むにつけても、ひよっとしたら日本はどんどんと貧しい国になりつつあるのではないかと、不安な思いに包まれたのは編者だけでしょうか。日本が、ミャンマーのような国の豊かさを理解できる時がいつの日か来るでしょうか。
日本に於いて、ケナフはいつも環境との関連で語られていますが、ケナフが私たちにもたらしてくれるものがあるとしても、それは我が国が近年たどってきたような物質的な見た目の豊かさにどっぷり浸かった社会(生活)とは相容れないものです。本当の豊かさとはなにかというテーマを抜きにしてケナフと関わることは無意味といってもいいかもしれんません。今回は非常に小さな民間の交流に過ぎませんが、そういう意味ではとても大きな意義があったと言えるのではないでしょうか。8人の“使節団”のみなさん、ほんとうにお疲れさまでした。
最後になりましたが勝井先生には企画段階から全行程にわたって大変お世話になりほんとうにありがとうございました。またヤンゴンには広島ケナフの会の下花さんの妹さん(藤本さん)が在住しておられ、とても有意義な交流が出来たようです。メンバーになり代わり、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。 |
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Page-2 / 【あこがれのヤンゴンに立つ】
【北へ 北へ 北へ】
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NAGANOケナフの会通信16号「8人衆のミャンマーケナフ紀行・番外編」 |